2.夜まわり活動

夜まわり活動は1988年、当会の設立と同時に始められ、一貫して私たちの中心的な活動となってきました。夜まわりは当初、絶え間ない野宿者への差別襲撃から彼らを守るためのパトロールとして始められました。しかしその後、むしろそうした意味合いは部分的なものとなり、他にも様々な意味が込められるようになってきました。
 現在の夜まわりでは、まず「野宿者たちの生命・生活を支えるための活動」としての意味があります。野宿者たちに健康状態から差別襲撃、追い出しの情報に至るまで、彼らの生命・生活に関わる様々な話を聞き、アドバイスをしたり、後日何らかの行動を起こすなどして対処していきます。特に冬季には、凍死の危険を始めとして健康状態が悪化する恐れが大きく、こうした意味合いはより重要度を増します。


 「与える」ためではなく 

 とはいえ夜まわりでは、野宿者たちに何かを「与える」ことは重視されていません。食べ物を配るわけでもなく、本格的な医療活動をすることもなく、与えるものと言えば、何の腹の足しにもならないお茶や、わずかなカイロ・毛布ぐらいです。こうした夜まわりの在り方には、単に能力的・財政的な事情もありますが、この活動を担ってきた者たちに受け継がれてきた、ある考え方が反映されています。 
 何かを与える代わりに夜まわりでは、とにかく野宿者たちと話をすることに重点を置いています。互いの情報交換から単なる世間話に至るまで、様々な話をします。もちろん、そうした情報交換や、単に話し相手になるということ自体にも重要な意味がありますが、より重要なのは、そこから生まれる人と人との「出会い」そのものだと思います。


 全ての基本となる「出会い」

 この「出会い」とは、当該の野宿者ではない支援者たちにとっては、こうした活動の場でなければ普段互いに関わることもない、全く生活環境を異にした者同士が「出会い」、言葉を交わし、多少なりとも心を通わせること、そして互いを理解しようとすることを意味します。夜まわりに参加している野宿者たちにとっては、同じ境遇に置かれた野宿者同士が共感し合い、仲間づくりをし、共に苦境を打開していこうとすることを意味します。
 夜まわりをする者たちと野宿者たちとの関係性には、何かを「与えるための/与えられるための」という理由づけ、言い訳は通用しません。相手に、「あんたら何かに用はない」と言われればそれまでです(そういうことは滅多にありませんが)。その関係性を成り立たせるのは、ただ互いが持つ「出会い」への期待しかないのです。
 単に「出会う」こと、心を通わせることに何の意味があるのか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかしながら、こうした「出会い」こそが、野宿者でない者たちにとっては、野宿者に対する偏見を取り除くための、そして自分自身を知るための必須条件であり、当該の野宿者たちにとっては、彼ら同士の仲間づくりのための必須条件なのです。現に夜まわりでの「出会い」は、以下の3〜6の活動の基本ともなっています。
 とはいえ、実際にはこのような理想的な夜まわりが常にできているわけではありません。むしろ互いの「出会い」に対する期待を裏切ったり、裏切られたりの連続です。加えて最近では野宿者の数があまりに増えすぎて、残念ながらなかなか夜まわりの時間内でゆっくり話をすることができなくなってもいます。
 理想的な夜まわりをするためには多くの支援者の参加が不可欠ですが、現状では人手不足に悩まされています。皆さんに広く夜まわりへの参加を呼びかけています。あなたの力を必要としています。あなたも野宿者たちとの「出会い」を求めて、一度夜まわりに参加してみませんか。