1.入門編・野宿者問題とは?−当会の活動方針の概略−

1991年頃の「バブル崩壊」以降、長引く不況を背景として、日本全国で野宿者が急速に増え続けていることは、マスコミ報道や日常生活の経験で恐らくご存じかと思います。その数は現在、2万人を超えると見られています。私たちが活動している名古屋でも、現在千数百名の人が野宿生活を余儀なくされており、バブル崩壊直後の5,6倍にも上っています。


  根強い偏見 
         
 野宿者たちに対する世間的なイメージとして、いまだに「怠け者」「好きでやっている」「自由で気まま」などという見方がまかり通っていますが、それは彼らの実情を知らない偏見に基づくものです。
 野宿者たちの多くは決して好きで野宿生活をしているのではなく、日雇い労働からのアブレや会社からのリストラなどの失業によって、野宿生活を余儀なくされたのです。また彼らの多くは、極めて低収入・不安定ながらも仕事をしています。野宿生活に伴う様々な障害の中で、彼らは必死に生きる糧を探し求めて、日々を何とか生き抜いているのです。生活保護を始めとする社会保障制度も、現状では野宿者への適用は極めて不十分であり、彼らを野宿生活に縛りつける一因となっています。
 また、野宿生活は決して気楽なものではなく、現実には極めて過酷なものです。野宿生活は当然ながら健康の悪化をもたらし、病死者や餓死者が後を絶たず、冬季には何人もの凍死者も出ています。これに加えて絶え間ない差別襲撃や、居場所からの日常的な追い出しなどもあり、彼らの精神的安楽を脅かす要素は枚挙にいとまがありません。仕事に恵まれず退屈している野宿者が多いことは事実です。しかしそれは、彼らの生活が気楽だということとは別なのです。


 求められる視点の転換 

 このように野宿者たちは、雇用から締め出され、社会保障から締め出され、そして日々、その居場所さえ奪われようとしてます。彼らは訴えます。「いったいどこへ行けというんだ。宙に浮いていろとでもいうのか」。彼らはことごとく社会から排除され、その存在自体が社会的に抹殺されようとしているのです。いったい彼らが何をしたというのか。野宿者とは、私たちの社会の構造的矛盾、残酷さ、おぞましさを一身に体現している存在です。人々が野宿者たちのことを「見て見ぬふり」しようとするのは、彼らへの嫌悪感・恐怖感(これ自体全く無知によるものですが)もさることながら、こうした社会の矛盾から目をそらしたいという、人々の無意識の表れなのかもしれません。
 今、私たちの社会に求められる視点は、野宿者の問題を、野宿者の性格といった個人の問題として見るのではなく、野宿者を生み出す社会構造の問題として捉えるという視点だと思います。野宿者問題が一種の「社会病理」なのだとしたら、その「病理」は野宿者たち個々人にあるのではなく、彼らをとりまく私たちの社会のほうにあるのです。
 またこれと関連して、野宿者の問題を「公共の場を不法占拠している」とか「街の美観を損ねる」といった矮小な問題として見るのではなく、人間として最低限の生活が保障されていないという、基本的人権生存権)の問題として考えるという視点も必要です。野宿者問題とは、「邪魔」とか「目障り」という問題よりもずっと重大な、人の命や人生に関わる問題なのです。


 アクションを起こそう! 

 私たちは、こうした社会の矛盾から目をそらすつもりはありません。それらは私たちの生活や人生と決して無縁ではないからです。私たちは同じ社会の一員として、野宿者たちの生活や活動を支援し、それを通して、この社会を少しでもよりよい方向に変えていきたいと考えています。
 とはいえ、野宿者たちへの支援活動が、「支援者ー野宿者」「与える側ー与えられる側」といった一方向的な関係性に終始するのは、お互いにとって健全なこととは言えません。以下を見ていただければ分かるように、最近の私たちの活動は、そうした一方向性から抜け出して、野宿者たち自身が主体的・積極的に活動へ参加するようになってきています。野宿者たちと、野宿者でない者たちとが対等に結びついて、共に社会を変えていくということこそ、私たちが目指しているものです。 
 傍観していても社会は変わりません。「見て見ぬふり」を決め込んでいる人々の中にも、野宿者たちの姿に心がさざめくのを覚えながら、何をしたらよいのか分からないと諦めている方々もいらっしゃるかと思います。あなたも私たちの活動に参加しませんか。私たちの活動に支援をいただけませんか。あなたにできることは山ほどあるのです。