5.仲間たちの仕事づくり活動

仲間たちの「仕事づくり」活動は、1999年11月から始められたばかりの全く新しい活動で、まだまだこれからという段階です。しかし、こうした活動を始めた背景には、私たちの考える新たな理念が存在しています。以下では、それについて触れてみたいと思います。


  行政施策への諦念 

 寄せ場や野宿者の運動はこれまで、主に行政に対して、仕事や生活の保障、一方的な追い出しの反対などを粘り強く訴え続けることを活動の中心としてきました。その歴史の中で勝ち得てきた数多くの成果は、決して軽視できるものではありません。そうした長年の運動の積み重ねもあって、確かに行政も少しずつ動いてきました。
 しかしながら、一人一人の野宿者の視点に立ったとき、行政がその人のためにどれほどのことをしてくれたかを考えると、依然として不十分というほかありません。現に毎年、名古屋だけでも何十人という野宿者たちが、路上で無念のうちに不本意な死を迎えています。また、これまで勝ち得てきた行政施策の多くも、根底には「環境浄化」や「治安対策」といった発想があり、決してストレートに野宿者の人権保障に向けられたものではない、言い換えれば、本当に野宿者のことを思って行われるものではありませんでした。ここでは詳細は省きますが、このことは最近、行政が動きを見せている「自立支援事業」についても言えることです。
 野宿者たちの多くは、こうした行政に対して冷たさを感じたり、不信感を抱いたりしています。「役所なんてわしらを管理することばっかり考えて、わしらに何もしてくれせん」という彼らのため息を、私たちは幾度となく耳にしてきました。
 これまでそうした声を聞く度に、私たちは「じゃあ、そんな役所を一緒に変えていこう、一緒に訴えていこう」という台詞を繰り返してきました。そして共鳴してくれた仲間たちとともに、対行政活動(6を参照)を繰り広げてきました。しかしながら、いつまでたっても大きく変わらぬ現状に、仲間たちにある徒労感や諦めが募ってきていることも事実です。そんな中私たちは、こうした活動の必要性は認めつつも、何かもっと他にできることはないのか、オルターナティブな活動の方向性はないのか、と模索し続けてきました。


  自分たちで仕事をつくる 

 ところで、野宿者が働いて現金収入を得られるような仕事と言えば、現状では日雇労働か廃品回収ぐらいしかありません。住所がないことや野宿者に対する雇用主の偏見が、いったん野宿生活に至った仲間の就職機会を大幅に制限しているからです。しかも、これらの仕事はいずれも極めて不安定かつ低収入なものです。一方でこうした厳しい仕事の現状があり、他方では先述のような行政施策に対する諦めがあります。野宿の仲間たちの多くは、こうした閉塞感に包まれて日々の生活を送っています。
 そこで、もはや行政が何かをしてくれるのを気長に待っているだけでは駄目だ、そうした閉塞感のうちに仲間たちは次々と年を取り、死んでいってしまう。行政を当てにせず、少しでも野宿の仲間たち自身の力で仕事をつくって、現状を打開していこう、という発想に至りました。それが、ここで書いた「仕事づくり」活動へと結びついたのです。
 もちろん、そうした仕事をつくり出して、ある程度軌道に乗ったとしても、それによって多くの仲間が野宿生活から脱出することは容易ではないでしょう。従ってこの活動は、(当面は)野宿生活を脱出することを目的とするのではなく、今の野宿生活の中で、ただ閉塞感に包まれて退屈な日々を送るよりは、何かをして多少なりともお金を得られた方がよいのではないか、仲間たち自身で体を動かして、生きる張り合いや仲間づくりができたらよいのではないか、ということに主眼があるのです。このことは先に書いた、引っ越し作業に携わった仲間の言葉にも示されています。


  野宿者の「自立」とは何か 

 以上のような私たちの新しい方向性は、しかしながら、従来の対行政活動と何ら矛盾するものではありません。一方で行政に対して、今後も仕事や生活の保障などを訴え続けていくことも必要です。野宿の仲間たちが行政に頼らず頑張ることが、行政が責任を果たさないことの放置へとつながってはなりません。
 こうした私たちの「仕事づくり」活動が目指すものは、野宿の仲間たちの真の「自立」です。それは、「自立支援事業」のように行政が多用する「自立」の語(単に公共スペースを「不法占拠」するな、ぐらいの含意)とは異なるものです。すなわち、各人が置かれた不遇な状態に押しつぶされることなく、自らの人生を自らの意志で切り開いていくこと、自分の人生の主人となること、といった意味です。それは「自立」というよりむしろ、「自律」と表現すべきことかもしれません。私たちが小さな第一歩をしるした「仕事づくり」活動には、こうした壮大な理念が込められているのです。